葬儀や霊園について考える

水子供養とその歴史

葬儀霊園墓石

何らかの理由で生まれることのできなかった子どもの冥福を祈るための水子供養は、同時に女性にとっても心の安らぎを得るための大切な儀式です。ここでは、その歴史についてご紹介したいと思います。水子供養の歴史はそれほど深いものではありません。一部の尼寺では確かに昔から行われていましたが、現在のように一般的になったのは1970年代頃からだといわれています。

昔の日本では、七歳までに亡くなった子どもには仏教式の葬儀を行わないことが普通でした。これは、もう一度生まれ変わってこの世で寿命を全うしてほしいとの願いや、一人前の人間とは見なさないという理由によるものです。この影響を受け、現在でも水子の葬儀は行われません。しかし、一度授かった命なのだからきちんと供養してあげたいという気持ちは当然のことでしょう。ここから、水子供養がひろく行われるようになったのです。

水子供養を行う理由として「たたり」や「子どもが賽の河原で苦しんでいる」といったものが挙げられることがありますが、これは誤りです。もし「たたり」というものがあるのなら、供養自体がもっと古くから行われていたはずだからです。本当に重要なのは、命の重さを確認するとともに子どもの冥福を祈り、前向きに生きてゆくことです。たたりを恐れるのではなく、そうした気持ちで供養をすることが大切です。

水子供養円満寺
水子というのは、元々乳児期や幼児期で亡くなったお子さんまで含む意味だったというのをご存知でしょうか。現在の水子の概念は戦後に人工中絶が爆発的に増加したようになったため現在の意味合いになったようです。つまり、現在の水子供養の習慣は前述したとおり1970年代ごろから広まったものなので、実際の水子供養は無くなったお子様全てを対象にしてもいいものなのです。水子供養で全国的に有名な大阪の常光円満寺曰く「子供養は召された赤ちゃんの幸せを願うものであって、決して懺悔ではございません。そのことを正しく理解いたしましょう。」とのことです。もし、周囲にこのようなことでお悩みのことがいればそのことを教えてあげると気が楽になるかもしれませんね。
参考 水子供養の常光円満寺